FIAT500とは?
イタリアの大衆車チンクエチェント

1957年に発売、以後1977年まで20年間の長期に渡り生産された4人乗りの小型自動車である。

主任技術者は初代にも関わっていたダンテ・ジアコーサ。

空冷エンジン、RRを採用し、全長×全幅×全高は2970×1320×1325mmとなっている。

正式名称はFIAT NUOVA 500(新フィアット500)であるが、一般にはイタリア語で500を意味するチンクェチェント(Cinquecento)の呼称で知られている。

旧500のトポリーノと区別するため、NUOVA 500(新500)と称される。初代500の直接後継モデルではなく、異なるコンセプトで新規設計された同クラス・別系統車種である。

先行して発売されていた600(1955年発表)のメカニズムが多くの点で流用されており、同様にモノコックボディのリアエンジン・リアドライブ車となった。

発売初期の1957年当時は、スクーターを高価下取りするという荒業の販売施策でスクーターユーザーの乗り換えを促し、
それまで2輪車に乗っていたイタリアの大衆を4輪車に乗り換えさせた。
1959年、排気量を499.5ccにまで上げ21.5PSに向上させたスポーツモデルのスポルトが登場している。
1960年、スポルトのエンジンを17.5PSにデチューンしたマイナーチェンジ版の500Dが発売。
また、水平直列2気筒エンジン搭載で荷室を確保したワゴンタイプのジャルディニエラが追加された。
1965年、500Fを発売。新しい交通規則に対応するため、これまでの前開きドアを廃止し後ろ開きドアを採用する。
これに伴い大幅に手が加えられ、フロントウィンドウの大型化・キャンバストップ開閉レバーを2か所から1か所に変更・キャンバストップ後方の
金属屋根部をこれまでは分離可能型から他の部との一体成型に変更・テールランプの大型化・ドライブシャフトのジョイントを強化・クラッチを
コイルスプリング式からダイアフラムスプリング式に変更・ボディパネルの変更。こうした変更により、D以前の前期型とF以降の後期型と分けられる。
1968年、デラックスモデルでバンパーを補強するフロントバーが特徴の500Lを発売。

1972年、低価格版の500Rを発売。同年より500F、500Lは生産を終了し、最終型である500Rが発売された。
同じ年に後継車種126が発売されたが、500Rは下位モデルとして位置づけられた。
500Rは126と同じエンジンである126.000型エンジンを搭載。このエンジンの基本的構造は500F、500Lが搭載していた110F.000型と変わらないものの、
排気量は499.5ccから594ccへ拡大され、出力もネット値で18PSから23PSへなったが、コスト削減のためトランスミッションはこれまでと同様にノンシンクロ型を搭載した。
内装についても500Fと同様にシンプルになり、リアシートは固定式の取り外せないものとなった。
車体構造に変化はないが、唯一フロントエンブレムがFIATと銀色の文字のみになり、トレードマークであったヒゲのようなフロントグリル風インテリアはなくなった。
最終的に500Rは30万台以上が生産された。
この他にも数多くのバリエーション(一部にはディーラーが改造した物もあった)が発売された。
また、NUOVA 500をベースとしてエンジンやシャシーに改良を施した高性能版が、販売当時アバルトから複数種リリースされている。
NUOVA 500はイタリアの国民車として人気を博したほか、ヨーロッパ全土にも輸出された。アメリカでも少数が販売されている。
1977年の生産終了までに通算で約400万台が製造されている。





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